2022年3月

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スクナビコナノ神=小名毘古那神

大国主命(オホナムヂノカミ)に協力して国つくりをした、と伝えられるスクナビコナノ神は小人神であった。カムムスヒノ神の手の指の間から漏れた神、と伝えられていることによっても、小人神と考えられていたことがわかる。『伯耆風土記』や日本書紀には、スクナビコナノ神が粟を蒔き、粟が実ったとき粟茎(アワガラ)にはじかれて常世国に渡った、という伝説を伝えている。 海のかなたからより来たり、海のかなたの常世国に去る […]

烏梅

「烏梅」は、また「黒梅」とも呼ばれたように、梅の実を煙で黒くいぶしたものである。正徳3年(1713)序刊行の百科事典『和漢三才図会』は烏梅を「布須倍牟女」(ふすべうめ)と説明を施し、その製造法を「造ル法、半黄ナル梅ヲ取テ籃ニ盛リ、突ノ上ニ於テ烟リニ之ヲ薫ヘ烏梅ト為ス」と記している。この烏梅は、薬用や染色に古くから用いられてきた。『延喜式』三七典薬寮の条には「中宮臘月御薬」として「烏梅丸」の名が見え […]

天平9年

737 天平9年 春に筑紫から疫瘡(天然痘)が伝染し、夏から秋にかけて大流行。続紀(日本史総合年表) 続日本紀には、この年の春疫瘡大いに起こる。初め筑紫より来たれり。夏を経て秋にい渉り、公卿以下、天下の百姓、あい継ぎて疫死するものあげて計(かぞ)うべからず。近代よりこの方、未だこれ有らざるなり。 天平9年には天然痘が、筑前の大宰府から起こり、死者は数え切れないほど多かった。日本史上、2回目の大流行 […]

天台烏薬

Benzoin strychnifolium O.Kuntze  往時享保年間ニ支那原産ノ者ヲ移植栽培セル常緑潅木ナレドモ今ハ九州並ニ紀州和州駿州ニ野生アリ。高サ約3mニ達ス、、、、根ヲ薬用ニ供ス。和名ハ烏薬ノ名品天台烏薬ノ音ナリ,而シテ元来ハ天台烏薬ナル漢名ハ無ク其レハ支那ノ天台山ヨリ出ル烏薬を我邦の本草学者ガ天台烏薬ト呼ビシニ過ギザルナリ。 牧野 富太郎 日本植物図鑑 しかし、 こんな話もあり […]

菟田野に薬猟す(推古天皇)

十九年の夏の五月に、菟田野に薬猟す。鶏鳴時を取りて、藤原池野上に集ふ。十九年五月五日、薬猟於菟田野。取鶏鳴時、集藤原池上。会明を以て乃も往く。粟田細目臣を前の部領とす。額田部比羅夫を後ろの部領とす。是の日に、諸臣の服の色、皆冠の色に随ふ。各ウズ着せり。即ち大徳・小徳は並びに金を用ゐる。大仁・小仁は豹の尾を用ゐる。大禮より以下は鳥の尾を用ゐる。   薬猟は鹿の若角(袋角)をとる猟。鹿茸(ロクジョウ) […]

埋甕

”埋甕”の上限は縄文中期中葉時に置かれる。 縄文中期の竪穴住居址にあって、中期初頭までの炉は地床炉か埋甕炉で、円形プランの床面のほぼ中央に設けられている。この時期の屋内施設は炉のみで、入り口部にも奥処にも特別の施設は見られない。中期中葉に至ると埋甕炉や地床炉の縁は小礫で囲まれ始め、次期には礫は盤石に代わって炉縁の形状は方形を呈するに至るこの頃より炉の位置は竪穴の中心から偏りだし、2,3の住居には出 […]

有孔球状土製品

モールスが『SHELL MOUNDS OF OMORI』の中で、「曲線・深い刻み・刺突から成る文様は優美な構成にまとめられており、三回繰り返されて周囲を巡っている。穴の形は。5ミリでまっすぐに同じ径で通っている。孔の中には細かな螺旋がはっきり見え、この玉が、円棒を軸として作られ文様が施されたこと、それから棒を引き抜きながら何回かひねったこと、それがまだ粘土が柔らかいうちに行われたことを示している」 […]

吉田連兄人

天平二十年十月の皇后宮職牒に正七位上侍医皇后宮大属河内代目と見える。天平勝宝元年八月紫微少忠、同三年十月従五位下。吉田連氏に医を以て仕える者の多かったことは、続後紀承和四年六月己未条の吉田書主等への興世朝臣賜姓の記事に「世伝医術」とあることや、文徳実録嘉祥三年十一月の興世朝臣書主の卒伝に、祖父の吉田宜、父の古麻呂ともに打ち薬正、侍医であったと記すことからも知られる。 (続紀・天平勝宝元年4月14日 […]

木の実

日本列島は、人為の影響がなければ基本的に森林におおわれています。現在の植生を見ると、中部地方の山岳部から北海道南部にかけてはブナやミズナラを主体として落葉広葉樹林が広がっており、関東地方や中部地方の沿岸部から九州にかけては,カシやシイ、クスノキの仲間などを主体にした常緑広葉樹林が広がっています。縄文時代の森林も、前期になるとほぼ現在と同様の様相を示していました。では、縄文人はこうした森林の中で、ど […]

気候の大変動期

縄文時代中期と後期の境を前後する数百年間は世界的な規模で気候の大変動期であったものと考えられる。 いわゆるヒプシサーマル末期からの気候変動は高・中緯度地帯にいは寒冷化を、低緯度地帯には乾燥化をもたらし、後氷期以後安定して続けられていた人類の生活にそれぞれの地域で多大な打撃を与えた。この影響は気候の変動が一時に起こるものでもなく、又その変動がひきおこすものもそれぞれの地域によって区々であり、またさら […]

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