2022年3月2日

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白村江

白雉2年6月 新羅の貢調使知万飡(ツマササン)等、唐国の服を着て筑紫に泊つ。朝庭、恣に俗を移せることを悪み、呵責めて追ひ還したまふ。時に、巨勢大臣奏請して曰さく、「方今し新羅を伐たずは、後に必ず悔有るべし。其の伐たむ状は、力を挙るをもちゐず。難波津より筑紫海の浦に至るまでに、相接ぎて艫舳を浮け盈て、新羅を召して其の罪を問はば、得ること廉かるべし」とまをす。 白雉4年夏5月朔  大唐に発遣す大使小山 […]

サヰ

狭井河・佐韋河(サヰガハ)その河の辺に山ゆり草多サワにありき。その山ゆり草の名を取りて、佐韋河と号(ナヅ)けき。山ゆり草の本の名は佐韋と云ひき。(記・神武天皇・次田真幸)→さゐ →山ゆり草 佐韋(さゐ) 山百合(記・神武天皇・次田真幸)  山百合の元の名→さゐかわ →やまゆりくさ 是に、其の伊須気余理比売の命の家、狭井河の上に在り。天皇、其の伊須気余理比売の許に幸行して、一宿御寝し座しき。其の河を […]

三角土寿形土製品

三角形筒状の縄文時代の土製品 富山県と新潟県が最も出土数が多い。 長軸方向に孔を穿たものが7割。側面ケイは4割位は正三角形、6割くらいは二等辺三角形。文様については、56個の資料で施文状況を数えると、全く無文のものが10例で、2割くらいになるが関東地方と石川・富山県に集中している。置くべき面を意図してつくられたものが多いことは明らかになったと思っている。石製もある。 縄文文化の研究 9 縄文人の精 […]

三角形土版・三角形岩版

三角形土版は、角が丸みをもった平面三角形形状や二等辺三角形形状を呈し、底辺が5cm前後、等辺が6cm前後、頂点から底辺までが約5cmを前後とする大きさを普通とする土製品である。表面は緩やかなアーチ状に膨らみ、原則的には二等辺三角形の底辺を上位に、頂点を下位として、その縦位の中心軸に対して対して左右対称の文様が施される。裏面は表面とは逆に内湾しており、無文でよく研磨されている。直。その断面がアーチ状 […]

青竜刀形石器

分布:東北北部・北海道南部 形が奇異で発見例が非常に少ないこと 製作された時期は縄文時代中期~後期でこの時期に最も多く製作されたこと 使用時期は晩期まで下がる可能性があること 分布圏が円筒土器と同一分区圏を示すこと 磨製の石製品がほとんどで、一部骨製品はあるが土製品が存在しないこと 石刀が製作されるようになって消滅している事 縄文中期から晩期までの長い時間にわたって製作された石器とは考えられない。 […]

石剣・石刀

東日本の縄文時代末期に見られる刀子形をした磨製石器である。片岩や粘板岩を原材として、丹念に研磨し、刃部を両側縁もしくは一側面につける。石器の断面が楕円形ないし紡錘形をなし、両側縁に鈍い刃のつくものを石剣とし、断面が楔形で、一側縁に刃がつけられるもの、あるいは体が内反りに作られ、刀関を明瞭に作っているものを石刀とよぶのが一般的である。 縄文時代の晩期において、東北地方から北海道にかけて特異な発達を見 […]

新修本草

五月十五日 典薬寮が次のように言上した。 「唐の蘇敬が注解した『新修本草』は、梁の陶隠居の『集注本草』と比べ調べてみますと、『新修本草』の方が百余条も増補しています。(『新修本草』は『集注本草』を増訂したもの)。また今私どもが採取して用いています薬草は、蘇敬の説明にも合っています。それでこの書『新註本草』を採用したいと思います。』と。 天皇はこれを許可した。 続日本紀  宇治谷 孟  講談社学術文 […]

身体装飾

衣服 現在、生まれたままの姿だけで生活している人間はいない。人々は身体の全部にしろ一部にしろ、何らかの方法でそれを替えて見せるような行動をとっている。その代表的なものは衣服であり、人々はそれによって身体を掩う。衣服は身体を寒さや害虫などから防護したり、外観を美しく見せようとしたり、種族(あるいは社会・職業)の違い、階級の差、特殊な地位を示すなど、文明人にとっても未開人とあまり差のない機能を果たして […]

正倉院の『種々薬帳』

目で見る漢方史料館(91) 正倉院の『種々薬帳』 解説  真柳 誠 正倉院に唐代の薬物そのものが今なお保存されている。その多くは奈良時代の天平勝宝八年(七五六)六月二十一日、聖武天皇崩御の七七忌に孝謙天皇・光明皇后が東大寺盧舎那仏(いわゆる奈良の大仏)に献じ、同年建立の正倉院が保管したものに由来する。この科学的調査が一九四八~五一年、朝比奈泰彦博士を班長とする錚々たる研究者により行われ、一九五五年 […]

スクナビコナノ神=小名毘古那神

大国主命(オホナムヂノカミ)に協力して国つくりをした、と伝えられるスクナビコナノ神は小人神であった。カムムスヒノ神の手の指の間から漏れた神、と伝えられていることによっても、小人神と考えられていたことがわかる。『伯耆風土記』や日本書紀には、スクナビコナノ神が粟を蒔き、粟が実ったとき粟茎(アワガラ)にはじかれて常世国に渡った、という伝説を伝えている。 海のかなたからより来たり、海のかなたの常世国に去る […]

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