有孔球状土製品

モールスが『SHELL MOUNDS OF OMORI』の中で、「曲線・深い刻み・刺突から成る文様は優美な構成にまとめられており、三回繰り返されて周囲を巡っている。穴の形は。5ミリでまっすぐに同じ径で通っている。孔の中には細かな螺旋がはっきり見え、この玉が、円棒を軸として作られ文様が施されたこと、それから棒を引き抜きながら何回かひねったこと、それがまだ粘土が柔らかいうちに行われたことを示している」と観察し、装身具(土製の飾り玉)と考えた遺物の類品は、八幡一郎によって集成され、、立体土製品と名付けられてきた。大森貝塚資料は紡錘型だが球形・円土寿形・三角土寿形のものでも、共に1孔が貫かれているということから、八幡は同類としたのであった。ところが、三角土寿形土製品の発見例が増えてくると、孔を欠く資料が結構あることが分かりこの土製品が据え置かれることも明らかになってきた。八幡が立体土製品とよんだものから三角土寿土製品を抜いたものは、有孔でかつ孔軸の切断面が正円になるというまとまりを持つことになるので、これらを有孔球状土製品と私は読んでいる。

対称形(紡錘形・円土寿形・球形・扁平球形・算盤球形)と非対称形がある。

施文は 紡錘形・円土寿形のものは、胴中央に一線が引かれ、これを境におおむね対照的な文様が描かれるものが多い。

球形・扁平球形・算盤玉形のものも形は対称形なのに、こちらは対称とならないものは多いようである。


出土は富山県が圧倒的に多い。次に新潟県・寺地遺跡、あとは東京・埼玉・長野・茨城・福島・石川・宮城などで出土している。

時期は、加曾利BⅡ・Ⅲ式期に位置づけられる。

用途 装身具・呪術具など”第二の道具”とは考え難い。有孔球状土製品とは、有文類も無文類も、その穴に棒状具が通されて縦に置かれ、回転運動されたものだと、私は推測するのである。紡錘形であれ、球や円土寿形であれ、ましてや下ぶくれ形ならより一層、回転運動をうまく行うだろう。有孔球状土製品は、棒状具に通された弾み車というわけである。さらに進めて何の弾み車方考えると、いくつかの推測が出来る中で、紡錘車説が最も結び付けやすいだろう。私も、以前にその可能性を推測した。弥生時代以降の紡錘車と、あまりにも重量が違うが、有孔球状土製品は、荒い撚りをかける使い方を想定してやればよい。

最後に問題にしておきたいのは、富山県東部と新潟県西部の、遺物量の圧倒的な多さについてである。この地域で後期後半から晩期の遺跡を大規模に発掘した場合、有孔球状土製品の出土数は、20を下らないのである。富山県の本郷遺跡、石垣遺跡、早月上野遺跡、愛本新遺跡などがそうであり、新潟県の寺地遺跡でも、出土数が多いようである。なぜであろうか。新潟県西部から富山県東部といえば、海岸でヒスイの転石を拾うことが出来津地域である。寺地遺跡は攻玉遺跡として名高いが、本江や石垣・早月上野・愛本新の各遺跡も、玉が多く出土し未製品なども発見されている。

富山県東部と新潟県西部の出土量の多さを、攻玉の穿孔時の弾み車と考えることで、説明し消化できないかとも思って利している。

縄文文化の研究 9 縄文人の精神文化 3第二の道具 有孔球状土製品 小島俊彰