ベニバナ

最古のベニバナ花粉

奈良の遺跡

邪馬台国時代の染料?

女王卑弥呼で知られる邪馬台国候補地、奈良県桜井市の纏向(マキムク)遺跡で、三世紀前半の遺構にたまった土から大量のベニバナ花粉が見つかり、市教育委員会が二日、発表した。織物の染料と見られ、国内で確認された最古の例。

「魏志倭人伝」によると、二四三年、卑弥呼が魏に赤や青の織物を献じたと伝えている。当時の大陸との交流を考える貴重な資料となりそうだ。エジプトや西アジアが原産のベニバナは、中国などから日本に伝わったとされ、これまで六世紀後半の藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)の石棺から花粉が見つかったのが最古だった。
市教委は「中国との直接的な行き来の中で、最新技術だった染織が持ちこもれたのだろう。指導役の工人が来て栽培までしていたかもしれない」としている。

日本経済新聞 平成19年 10月3日

3世紀のベニバナ花粉

邪馬台国と同時期 奈良・纏向遺跡

卑弥呼の織物と関係か

邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纏向遺跡で、弥生時代後期~古墳時代初め(3世紀中ごろ)の溝跡から採取した土に、ベニバナの花粉が大量に含まれていることが解かったと、市教委が2日、発表した。これまで最古だった藤ノ木古墳(同県斑鳩町、六世紀後半)の例を300年以上さかのぼる発見。

ベニバナはシルクロードを通じ、中国から伝わったとされる。このため、市教委は「当時、加工技術を携えて来た渡来人が、この地域で染物や化粧品などの生産をしていた」とみている。中国の歴史書「魏志倭人伝」には、倭国の女王・卑弥呼が魏に赤と青の織物を献上したとの記述があり、邪馬台国との関係性をうかがわせる貴重な資料として注目される。

分析された土は、東西2キロ、南北1・5キロの同遺跡の中心部にある溝から1991年に採取したもの。金原正明・奈良教育大学准教授(環境考古学)が分析したところ、1立法センチ・メートル当り270~560個の花粉が確認された。通常では考えられないほどの量で、遺跡の周辺にあったベニバナ染織の工房から流された廃液が溝に残っていたと判断された。

纏向遺跡は、後に初期大和王権の拠点に発展すると考えられている集落跡。溝の上流には、中枢部と見られる祭殿状の建物跡や運河跡などが出土しているほか、全国各地の土器も見つかっており、高度な交易機能を備えた最初の都市とされる。

一方、「魏志倭人伝」には、ほぼ同時期の243年に卑弥呼が魏の皇帝に赤と青の織物「絳青糸兼」を献じた記述がある。「絳」は「あか」とも読み、市教委によると、ベニバナを指す可能性があるという。

ベニバナはキク科の黄色い花で、原産地は南西アジアからエジプト。花を乾かし水で洗い流して残る赤い色素が染料となる。「末摘花」とも呼ばれている。

石野博信・兵庫県立考古博物館長(考古学)の話「ベニバナの加工技術が大陸から伝来したのは間違いない。明らかな国際交流の証を見つけたことになり、纏向遺跡が邪馬台国の一角であることを補強する有力な材料だ」

以上は 19年10月3日 読売新聞です