岩版

岩版は土版と同一の機能を持つ遺物であり、その材質のみが異なるものである。縄文時代晩期初頭に東北地方北部で土版に先行して発生するが、最終的には後出の土版と交替する。亀ヶ岡文化にはこのような”異材同形態”として認められる遺物がいくつか存在し、同文化の性格を考えるうえで興味深い問題を含んでいる。 縄文文化の研究 9 縄文人の精神文化 3 第二の道具 岩版 稲野彰子

岩偶

➀「土偶をそのまま石で作ったもの」ではなく、土偶とは異なった形態を意図して製作されたものである。 ②大きさには種々のものがあるが、破片資料が多いために一定の傾向をとらえることはできない。 ③多くが馬淵川流域及びその周辺地域に分布し、同流域に発生を求めることが可能である。青森県西部では若干例が出土している。また秋田県ではい形態のものが出土している。その他の地域での出土例は知られていない。 ④分布圏の […]

がまのはな

日本神話に出てくる最初の医療と薬です 「今急やけく此の水門に往き、水を以て汝が身を洗いて、即ちその水門の蒲黄を取り、敷き散らして其の上に輾転ばば、汝が身、本の肌の如く必ず差えむ」 「今急いでこの河口に行き、真水でお前の体を洗って、すぐにその河口の蒲の花を取り、敷きつめてその上に横たわり転がれば、お前の身体はきっともとの肌のように治るだろう」 新編日本古典文学全集 小学舘 キサ貝比売と蛤貝比売とを遣 […]

蒲黄(ガマノハナ)

蒲の花蒲の穂の黄色い花粉を言う。古代では、止血、沈痛に聞く草薬として用いられた。 オホナムヂノ神は、民間で医療の神として信仰されていたので、白兎の話にこの神を登場させて、オホナムヂノ神が医療の神であることを語ったのである。未開社会では、医療を施す能力のある者は、民衆からとくに尊敬されたのである。呪医が酋長となり、更に王者となることは、土人社会では珍しくなかったという。 この段から「根の国訪問」の段 […]

土偶

土偶を見ると、何か心の一番奥にあるものを呼び起こされるような、懐かしい、安心した気持ちになるのはなぜでしょうか。土偶には、そんな現代人をも引き付ける何かがあります。 縄文土偶は、今から約一万三000年前から、弥生時代のはじまる約三000年前までのおよそ一万年の間、日本列島の縄文時代の歩みと共に作られ続けたものです。現代の私たちの心を揺さぶる土偶は、当時の縄文人たちにとっても、心を込めた大切なものだ […]

縄文時代にはある程度のマメ栽培がおこなわれていた可能性が高いことは、最近の様々なデータから明らかになってきています。では、「縄文人のマメ栽培」といったときに、我々はどのような栽培の状態をイメージすればよいのでしょうか。ツルマメとダイズを例に考えてみましょう。 日本にはダイズとアズキの野生種があります。ツルマメを栽培化したものがダイズ、ヤブツルアズキを栽培化したのがアズキです。そこでまずは野生のツル […]

ベニバナ

最古のベニバナ花粉 奈良の遺跡 邪馬台国時代の染料? 女王卑弥呼で知られる邪馬台国候補地、奈良県桜井市の纏向(マキムク)遺跡で、三世紀前半の遺構にたまった土から大量のベニバナ花粉が見つかり、市教育委員会が二日、発表した。織物の染料と見られ、国内で確認された最古の例。 「魏志倭人伝」によると、二四三年、卑弥呼が魏に赤や青の織物を献じたと伝えている。当時の大陸との交流を考える貴重な資料となりそうだ。エ […]

葦牙=葦の芽

天地が開ける初めの時は、洲や島が浮かび漂うこと、ちょうど泳ぐ魚が水の上に浮いているようなものであった。その時、天と地の中にある一つの物が生まれた。形は萌え出る葦の芽のようで、そのまま神となった。国常立神と申す。 『泥の中から葦牙のごとく萌えあがってきたものがあっての、そのあれわれ出たお方を、ウマシアシカビヒコヂと言うのじゃ。われら人と同じく、土の中から萌え出た方じゃで、この方が人びとの祖と言うこと […]

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